クロガネ・ジェネシス
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第ニ章 アルテノス蹂 躙
第25話 崩壊の序曲
エルノク国首都、アルテノス。時刻は午後19時過ぎ。この時間帯なら普段は酒場や食事所が賑わっている。それより1、2時間ほどの時間が流れれば、深夜まで営業している酒場だけが唯一の喧噪となる。
しかし、今夜は違っていた。いつもの夜ではなかった。平和を謳歌する人々は、今自分達が暮らす町で起こっていることの現実感のなさに驚いていた。
エルノクは魔術と武道が栄えるこの大陸では珍しいドラゴン大国だった。竜騎士《ドラゴン・ナイト》のライセンスもこの国が発行している者で、エルノク以外の国でこれを取得するには、とても時間がかかる。
そんなエルノクでさえも、クロウギーンという漆黒の飛行竜《スカイ・ドラゴン》を使役できる竜騎士《ドラゴン・ナイト》はいなかった。
彼らは自分達のみで行動し、人間には興味を持たない。人間側から手を出さない限り彼らが人間を襲うことはない。そもそもこの国自体が人工物だ。
海に面しているおかげで、カモメなどの鳥類や、魚介を餌とする飛行竜《スカイ・ドラゴン》が空を舞う姿を拝むことはできるが、基本的に森を生活の場としている飛行竜《スカイ・ドラゴン》がエルノクの空を舞うことはない。
つまり、クロウギーンがアルテノスの空を舞い、人間に危害を加えている今の状況はあり得ないと言えるのだ。
アルテノスで有数の貴族、グリネイド家の屋敷。その玄関口に、4人の男女が目を丸くして空を見ていた。
「これはどういうことだ?」
そう呟いたのは狼の頭と、白い巨体を持つ亜人、バゼルだった。
この状況にもっとも早く気がついたのはシャロンだった。彼女が慌てふためいた様子でネルに、外を見るように伝えた。そして、彼女たちが屋敷のホールにいたバゼルとユウの2人に外を見るように伝えた。
そして驚いた。漆黒の空に舞う、黒翼の飛行竜《スカイ・ドラゴン》に。
こんな状況は起こり得ない。あり得ない。
盗賊の類が大群でこの町に現れたのならば、それを鎮圧するのはこの国の騎士達の役目だ。アマロリットやアルトネールを守る為に戦うことはあっても、盗賊を駆逐するために、バゼルやユウが動くことはない。
しかし、この状況はそれとは異なる。
何せ、襲っているのは本来人間を襲わないはずのクロウギーンで、襲われているのはこの町全域のようだからだ。それくらい、闇夜を多い尽くすクロウギーンの数は異常だった。
すでに、アルテノスの自治組織の元、無数の騎士達が招集され、その掃討に当たっていることだろう。
「この状況……私達はどうします?」
緊張の面もちで、猫の亜人、ユウがバゼルに問う。流石にアルテノス全域でこのような事態になっているのに、対岸の火事と思って無視を決め込むことはできない。少なくとも彼女には。
「ユウ。お前は王宮に行け」
「え?」
ユウはバゼルの命令に耳を疑った。なぜ今王宮に向かう必要があるのか。
「アルトネール達に伝えるんだ。今のこの状況を。可能な限りな」
「しかし、王宮の中からでもこの状況はわかるのでは?」
「確かにな。だが、伝えるべきことはそれだけではない。零児とギンの行方が今のところわからないままだ。そのことも合わせて伝えるんだ」
「!」
「よもや、奴等がこの事件に関与しているとは思いたくないものだ……」
闇夜に舞うクロウギーンを見つめながら、バゼルはユウにそう促した。ユウは、コクンと頷いて、その場から離れていった。
「私達はどうする?」
ユウの背中を見届けてから、もう1人の女性がバゼルに問うた。
黒のノースリーブの上から白いジャケットを羽織り、太股から先を露出したカットジーンズで短髪の女性。彼女の名は、ネル。
「俺達も掃討に参加する。クロウギーンを可能な限り行動不能にし、町への被害を可能な限り抑える」
「……!」
彼らの中で一際背の小さな少女が声にならない声をあげる。
腰まで伸びる長い髪の毛を側頭部に2つに分け、黒いミニのワンピースにストッキングを履いた銀色の髪の毛の少女。彼女の名はシャロンという。
「どうしたの? シャロンちゃん」
彼女の声なき声を聞き、ネルはシャロンに視線を向けた。
「殺す……っていうこと? あの子達を……」
零児達と出会うまで、彼女は多くの人間を殺して生きてきた。それ故に、人間ではないとは言え、何らかの命を奪うことを彼女は良しと思わない。たとえそれが、キレイゴトだったとしても。その思考は、彼女を救った鉄零児《くろがねれいじ》と同じだ。
「行動不能にすればいい。もっとも簡単な方法は翼を破壊することだ。命を奪う必要まではない。お前がお前のやり方でできることをすればいい。無論、無理に戦う必要もない」
「……私は……戦う……!」
シャロンは両手を握りしめた。バゼルはその瞳を見る。彼女が人間離れした戦闘能力を持っていることは零児達から知らされていた。その詳細は知らないが、人間同士の戦闘においてはまず邪魔にならないと言うことだけは確からしかった。
そして、今の彼女の瞳には、確かな戦う決意が感じ取れた。その瞳に宿る意志を、バゼルは信じることにした。
「邪魔になるなよ……」
「うん!」
シャロンは力強く頷いた。が、その前に1つ決めなければならないことがある。それをネルが口にした。
「編成はどうする?」
「3人一組で行動する。もし、剣騎士《ソード・ナイト》兵団と遭遇した場合、スムーズに事の説明ができるのは俺だからな」
「わかった!」
「じゃあ、行くぞ!」
3人はクロウギーン掃討の為に行動を開始した。
王宮の舞踏会会場。その広場で、2人の人間と亜人がお互いの瞳を睨み合っている。
成人男性にしては低めの背をしているのが人間、鉄零児で、それと向かい合っているのが、亜人であるギンだった。彼らの背後にはそれぞれ人間達と亜人達がいた。
それは、彼らがそれぞれ背負う命と誇りだ。
零児の勝利は人間の命を、ギンの勝利は亜人の誇りを。それぞれに守られるものがあった。そう、これはその2つをかけた決闘。引き分けは多分あり得ない。戦意喪失もありえない。そして、そのような結果は誰も納得しない。これはそういう戦いなのだ。
勝敗がどのような形でつくかはわからない。命を奪って終わるのか、気絶で終わるのか。1つだけ確かなのは、敗北イコール戦闘不能ということだけだ。
戦いの始まり。その最初にどちらから動き出すか。こと決闘においてそれはとても重要なことだと言えた。
零児は人間、ギンは亜人。ギンがいかなる亜人かは不明だが、少なくとも人間である零児よりも身体能力は高いと言えるだろう。そうであるならば体力的に零児は不利だ。
どちらが先に動けば有利なのか。自分達以外に介在者が存在し得ない決闘において、その見極めは極めて困難だった。
距離にして5メートル。その差は、走れば一瞬で到達する程度にしかない。
流れているのは、互いの隙をつくための沈黙。しかし、それが長く続くことはなかった。
動いたのは零児だった。背を低く、俊敏に爆ぜた。
ギンの眼に、その動きがどのように移ったのかは零児にはわからない。ただ、零児は自分の意志の赴くままに爆ぜたのだ。
気がつけば零児の体はギンの頭上に来ていた。ギンの手が伸びる。零児はその手を掴み、ギンのバランスを崩すのが最初のプラン。しかし、その目論見は即座に崩壊する。
地にしっかり足のついたギンは、零児の右手を逆に自らの右手で握り返す。そして、自らを支点に体をひねり、零児を壁に投げ飛ばす。
零児の視点から見える景色が瞬時に反転する。脳が揺さぶられる中、零児の体は遠心力も手伝い、あっさりと投げ飛ばされる。
宙を舞う零児は即座に体勢を整える。自らの頭の位置を即座に理解し、手足の位置を確認。足は壁に向け、両手を握る。
そして、零児は壁に"着地≠オた。規則正しく揃った両足は、その衝撃を吸収する。同時に零児の両膝が折れ曲がる。揃った両足と折れ曲がった両膝に最大限の力を込め、零児はギンに向かって突進を敢行する。
それはまさに人間を模した弾丸だった。人間ながらこれだけのことをこなす零児に、ギンは驚いた。零児の身体能力は亜人にすら匹敵するのではないかと思うほどだ。
無論、このまま突っ込んだだけでは攻撃にならない。床かテーブルにでも激突して自爆することは目に見えている。そうなっては元も子もない。零児はそこからさらに体勢を変えた。右足を前に突き出し、跳び蹴りの体勢を作る。
しかし、その動作の最中、ギンも黙ってはいなかった。
そこいらのテーブルに敷かれた白いテーブルクロス。彼はそれを力付くで引っ張り出すと、自らの全面に盾として、投げつけた。
――何!?
突如現れた純白のテーブルクロス。攻撃対象を見失った零児は、蹴りの体勢を素早く解除し、テーブルクロスごと床に着地すべく、両足を揃える。
テーブルクロスを踏みつけにし、地面に着地する。しかし勢いはすぐにおさまらず、テーブルクロスと絨毯《じゅうたん》の間で消失した摩擦は、零児の体を滑らせる。
その勢いがおさまるより速く、ギンの右手が伸びてきた。その右手は零児の右足首を掴みあげる。
ガクン、と動きが止まったかと思うと、反対方向へ体が移動する。投げ飛ばされるという感覚は、同時に脳が揺さぶられる感覚でもある。その不快な肉体の移動は、一瞬で投げ飛ばされた側の思考を削ぎ落とすだけの効力を持つ。
ほんの僅か、5秒にも満たない時間の中で、零児は2度目のそれを経験する。これ以上は思考がついていかない。脳が一時停止する。断絶した思考の合間、零児の体は複数のテーブルの足に叩きつけられた。
その衝撃と痛みによって、零児の思考は再び再会する。
ようやく空中での動きが止まり、零児はゆっくりと起きあがる。
「お前よう……ちっとは手加減しろい!」
「決闘だぜこれは。なに場違いなこと言ってやがんだ」
ギンはさも当たり前と言うように零児の言葉を否定した。
「はいはい、わかってますよ!」
悪態をつく零児。そう、これは曲がりなりにも決闘なのだ。全力を尽くすのが当たり前。手加減は相手への侮蔑に他ならない。この決闘が『まともな決闘』であるならの話ではあるが。
どう動くべきか。それを零児は模索する。しかし、その模索はすぐに終わった。ギンが動いたのだ。接近し、左手の拳を放つ。投げ飛ばすのと、拳を放つのとでは圧倒的に前者が体力を消費する。ギンとて、ただ投げ飛ばすだけでは疲れるだけだ。それ故の攻撃だった。
零児は即座にその攻撃を交わす。そして、両足に力を込め、体勢を低くし、地面を蹴る。同時に右手の拳をギンの腹部に叩き込んだ。
叩き込んだ拳が最初に密接する腹部。その腹筋は鍛え上げられていて、さほど大きなダメージに至っていない。まさに筋肉の壁。普段全身を季節感のない長袖で過ごしているせいか、ギンの体は対して鍛えられていないものだと勝手に解釈してしまった。
亜人であるだけでも驚異なのに、その亜人が不断の努力によって自らを鍛えていたとしたら、これは恐るべき驚異だ。事実、勢いに乗ってそのままギンを後退させようと思った零児の企みは崩れさった。
ギンはそのまま右の拳を、いまだ中空にいる零児の腹部に叩き込んだ。
「うぐっ!?」
鈍い痛みが走る。しかし、零児は自らの左手を腹部にもって来ることでその衝撃を和らげた。ギンの拳は零児の左手の平に直撃したのだ。
それでも衝撃がまったく腹部に伝わらなかったわけではない。なにせ、その拳はそのままアッパーカットとなって、零児の体を空高く舞い上がらせたのだから。
――馬鹿力め!
そう思う零児の体はギンの頭上。そこから零児は自分の体をくるりと1回転させた。その勢いのまま、ギンのアフロ頭にかかと落としを決めた。
ごつん、という衝撃が零児の右足に伝わった。
「うううおおおおおおおお!?」
初めて耳にするギンの悶絶。ギンはかかとが直撃した後頭部を抑えている。その隙に零児は着地し、ギンと距離を取った。
流石にやりすぎたかなと零児は思う。零児の足には脚甲が装着されており、かかと落としの威力を引き上げるには十分な硬さがあった。流石に頭蓋の硬さまでは人間のそれとさほど変わらないようで、本気を出してかかと落としを食らわせれば、致命傷どころか命を奪うことも十分に可能なレベルだ。
もちろん今回のかかと落としも大分手加減はした。零児の目的はギンの命を奪うことではないのだから。
零児は悶絶するギンを見つめる。ギンは頭《こうべ》を垂れていて表情を認識できない。
数秒の悶絶の後、ギンは顔を上げた。その表情はまさに修羅だった。
「お、おいおい……」
零児は後ずさる。
凄まじい憎しみ、憤怒《ふんぬ》の炎を感じる。それほどまでにギンの表情は恐ろしかった。
「お前……どこまで本気だよ……」
呟いて、零児はギンを見つめた。どの程度の力で戦えばいいのか、零児にはわからなかった。
一体どうすれば、この亜人を戦闘不能にできるのか。誰かに問うて答えがでるなら是非教えてほしい。
「クロガネェェ……!」
その声に零児は息を飲む。地獄の底の鬼の如き憎しみを称えた表情は誰が見ても恐ろしい。
「オレをあんま怒らせんじゃねぇよ……」
どこからどこまで本気なのかわからないその言い分に、零児は返す言葉を持たない。あるのは、あまり手加減できないと言うことだけだ。
――ああもう! 面倒くさいなぁ〜!
零児は心の底からそう思いながら、戦闘態勢に入った。
彼らの戦いをずっと見つめていた火乃木は零児を見てポツリと呟いた。
「やっぱり……この戦い……なんか変」
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